新潟県 名選手列伝⑩-

藤原 実さん

4月14 日に、弥彦競輪場内で昨年度の優秀選手として表彰された藤原憲征選手。その父は今回紹介する藤原実さん(53 )だ。1969年4月にデビューし、98年12月に引退するまで29年の選手生活。「決勝に2回しか乗ったことがないけど、長い間やってこれたしそこそこ でしょうか」。

中学3年のときが新潟国体で、ロードレースの応援に行った。地元出身選手を特に声援す るように言われていたせいもあって、女子生徒も地元選手にキャーキャー言う。「いいなあ、俺も自転車をやるか」と、そんな簡単な気持ちから燕工業の自転車 部へ。3年になって競輪選手を志す。「当時はイメージが悪かったし両親とも反対。特に母親はなってからも心配していた」。

憲征君のときは?「高校で自転車部だったけど、まったくやる気がなかったから。本人がプロになりたいと言ったときも、全国大会で1回でも
入賞したら考えると答えたくらい」。でもすぐに結果を出して、受験3回目で憲征君は競輪学校に合格。「あの子は度胸がよくて、思い切りがいい」と我が子を 評する藤原さん。憲征君には「練習しろと言ったことはない。ただ人の道に外れないことは大事だけど…」。同居しているせいか夜遅くなっても帰ってこなけれ ば、「それはどこの親も同じだけど、事故とかの心配はしますよ。でも競輪については落車も含めて心配はまったくしないですね」。

話は戻って、藤原さん。20歳でデビュー。粘ろうものなら、新人のくせにと並んだ選手に言われ、ひざが 走りながら飛んでくることもあった。
「これは俺の世界じゃない。本当にハングリー。異常だと思った」。もうひとつ、藤原さんが驚いたのは、落車しても痛がらないこと。競輪学校
時代から腰痛に苦しめられていた藤原さんは「落車すると3日間は動けなかった。次の配分はたいてい欠場」。それを周りの選手は平気な顔をしている。疲れた とか、痛いとかは根性が足りないからだと言われた時代。口に出すことはできなかった。

35歳になってから病院で診てもらったら腎臓結石と診断されて手術。
それまで、下半身が痺れたようだったのが、足の指先まで神経が行き届く感じがした。悔いが残るとすれば、そのことなのは間違いない。

今は競輪場で執務しながら県自転車競技連盟の強化担当としても活躍。連盟の人とともにマイクロバスを運 転して、日本中の大会にアマチュア選手と参加する。「自分の時間があって、ないような感じですね」(笑)。