-新潟県 名選手列伝⑪-

山野井 哲さん

今でこそ県の高校の自転車部は吉田商業と燕工業が競っているが、1970年代は三条商業(前身は 三条実業)も強豪だった。プロへも丸山清人、渋川久雄らを輩出した。その渋川さんの2年後輩にあたるのが山野井哲さん(やまのい さとし=48)。73年 3月にデビューし、95年11月に引退。現役生活は22年。

「今、家の中のものを整理していて、こんな古い雑誌なんかもあったんですよ」と、山野井さんが見せてく れたのは1979年2月の月刊競輪。A級2班に山野井さんの名前があった(その当時はA級が5班でB級が2班。今のS級1班と当時のA級1班の人数は同じ だから、A級2班はS級2班に相当する)。194位に位置している。A1は渋川久雄さん、天野康博選手、2班には早福寿作さんら 名が名を連ねている。「雰囲気はすごくよかったですね」と、陽気にしゃべる山野井さん。気さくで、一緒にいるとこちらまで楽しくなる。

戦法は先行、まくり、追い込みと何でもこなす自在型。A1、2のほかの県選手はすべて追い込み選手だから、その点でも異色。「高校2年のときに競輪 学校 で体験入学というのがあって、選手になろうと決めた」。

31期でデビューし、初めの転機は 歳のとき。「その前の暮れの岐阜記念で悪質失格を取られて、翌年の4月から2カ月、あっせんが止まったんですよ」。ちょうど家を建て、建て前も終わってい た。シーサイドラインを朝、みん
なと一緒に走り、午後からもひとりで練習に行った。あっせん停止がとけると、自分でも驚くほど力がついていた。A級初優勝はその年の平塚。「勝てば、練習 するのだって楽しみになる」。

一番の思い出は高原永伍さんをまくった花月園の決勝。「25歳くらいだと思うけど。あの人は神様ですからねえ。優勝は僕につけた栃木の黒田正宏だっ た」。

力こそ30歳を過ぎれば落ちてくるが、決定的だったのは1985年の身体検査。心臓に異常が見つかり、1年も走れなかった。KPK制度のA級3班
からB級へ転落。もちろん、それでも降級当初は勝てたし優勝もできたが、「やっぱり脚が順応しちゃうというか、そのクラスの脚になってしまうんですよね え。だから1回落ちて、また下から上へ上がるのは厳しい」。41歳で引退を決め、翌年11月に自転車を降りた。

引退後は職安へ行き、ゼロからの出発を選択。選んだのは木工職人の道。今は掛矢(かけや、大きな木槌)作りにまい進している。「競輪選手も言ってみ れば 職人ですよね。自分の戦法を持って戦うんですから」。