-新潟県 名選手列伝19-

高田 秀明さん

県 選手の創生期のメンバーでもある高田秀吉さん(故人)の息子さんが高田秀明さん (51)。1971年1月に28期生としてデビュー。2001年7月に引退だから現役生活は30年を超える。「俺なんか、何も話はないよ」と語る高田さ ん。「30年の選手生活といったって、たまたまクビにならなかっただけだから」。 ほんとですか?

まずは高田さんの父・秀吉さんのこ とから。4・00の大ギアを駆使し、先行、まくり を武器に特別競輪にも参加した名選手。来年、23回忌を迎える。競輪が始まったのが1948年11月の小倉競輪場。その翌年には秀吉さんを含めて、9名が 県選手として登録している。そして、弥彦競輪が県営として初めて開催されたのは1950年4月29日。その第5レースに秀吉さんは出走し、県選手として初 の勝利をものにしている。ちなみに1着賞金は5500円。距離は1200メートルだった。

父から「試験は1回だけ。落ちたらあきらめろ」と言い渡された高田さん。これを高校3年の時にクリアして輪界へ。同県同期は渋川久雄、平原康広、高野競 一。「渋川、 平原は強く、俺と高野は弱かった」。

デビュー戦は父と同じ配分で前橋。平原さんが優勝。父と同じ配分はその後、平で1回あるだけ。「配分はもっとあったと思うけど、欠場とかしていたんだろ うね。お互い気を使っていやなもんなんです」。73年の10月に秀吉さんは引退。「背骨が外から見てもS字になっていて、腰も悪かった。ああだ、こうだと はまったく言われなかったね。親父は強かったけど、息子は下の方でパタパタやっていたのが気の毒だったかな」。

そんな高田さんはすごい経験をしている。デビュー2年目の1972年。11月3日からの岸 和田記念に早福寿作さんと参加。「早福さんは決勝に乗って、俺は初めて記念の予選で 1着」。競走が終わって、大阪でぐっつり呑んで、寝台の 「きたぐに」で新潟へ。

「車内が何かさわがしいので起きた。早福さんが見に行ってから、煙が出てきたので パジャマの上に背広を引っ掛けて、窓を開けて外へ出たんだよね。トンネルの中で真っ 暗。人が行く方向へ歩いていった」。これが死者30名、負傷者700人以上を出した、 日本の鉄道史上に残る大惨事 「北陸トンネル火災事故」だった。

早福さんとも落ち合い トンネルの中を歩き続けた。 事件を知ったのは6日の朝。 「翌日の夕方に家に帰ったのかな。新潟日報に負傷者で俺の名前が書いてあったらしくて、心配もかけたし、怒られた。何も連絡してなかったから」。

「人間、自分はそんなことには遭わないと思っているからねえ」。