-弥彦競輪50年の足跡-

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ファンそして選手にとって車券購入、競走意識に大きな影響を与えたのが平成7年4月から行われた事故点導入の競技規則だった。そのために落車件 数は大幅に激減したがその反面にデメリットも発生した。今回は事故点導入の流れから現在に至る過程を紹介する。
平成7年4月事故点制度を導入
ファンにとってゴールもしていないのに車券が紙クズ同然となる落車などの事故を減らそうと、競技規則の改正に取り組んだのが昭和 63年。その後も平成3年に改善されたが、なかなか落車の件数が減る状態になかった。
そのため選手にとっては厳しい措置を取ることに踏み切った。これが失格3点、重大走行注意1点、走行注意0・2点の事故点制度の導入だ。 競走得点から 事故点を引いた点数が格付けの対象になるた
め競走得点が高くても事故点の多い選手は格付けがダウンする結果となった。平成7年4月から実施され、その年度は6800件あった落車が2800件までに 激減。ファンにとっては安心して車券を購入できるというメリットと事故防止という点では、それなりに成果を収めた。
だが、その反面で事故点過多の選手は期末になると自分本来の競走ができづらいという足カセができ、車券の対象から除外されるケースも現れ施行者サイドか らすれば好ましくない事態も生じた。競技規則にも選手は1着を取るために全力で戦う義務があるとうたわれていることからも頭を痛ませる現象が起こったのも 確かだった。
今年8月から事故点制度を改正
その結果、今年8月から以前に戻して事故点は失格3点のみで、重注と走注に関しては内部制裁で行うということに決まった。選手間で は「足カセが取れて自分本来のレースができますね」と歓迎ムード。ただ、これによってまた落車が多くなるのは困りものなのだが。
それでは落車はどうしたら妨げるのだろうか。競技規則に従ってレースをするのは当然なのだが、プロとしてのテクニックが未熟な点があるのも否めないと思 うのは私だけだろうか。競輪学校を通じてタテに踏む練習を行っているため、ヨコの動きには弱さを残している感じだ。競輪学校では教えられないことだけに選 手各自がプロになって練習で磨くしかない技術である。レースの性質上、競りは避けて通れないレースがある。そのため落車などの事故があるケースはあるが、 各自がテクニックを磨いていけば、ある程度は防げる可能性は高いはずである。
次回は新潟選手会77期の松本一成から79期の諸橋愛らを中心に紹介する。(つづく)