原田泰志 ハラダ タイシ 1986
年4月8日生まれ、24歳、O型。
燕工高卒。父は原田則夫(41期・A2)、師匠は阿部康雄(68期・S
1)。趣味はドライブ、好きな車番
は7番車。176センチ、70キロ。
―地元戦(6月23~25日)で見せ場を作りました。
初日に打鐘から逃げて2着に粘れたんですが、そのレースで、最近になく踏めていると実感できました。今回はやれるかなと。準決(2着)、決勝(8着)は組み立てに失敗してしまったんですが、今後につながる開催になりました。―決勝は残念でした。
絶対に中団を取るつもりで走ったんですが、勝負どころで踏み過ぎて。前に行き過ぎて、インに詰まってしまった。勝てるデキだったので、悔いが残ります。ただ、決勝進出で、坊主頭は回避できました(笑)。
※弥彦競輪中継内のコーナー、「池端将巳のパドック通信」で、1着を取らないと坊主頭と宣言。―ずっと不振でした。
昨年7月にS級に上がって、補充で走った弥彦で1着を取れたあたりまではよかったのですが、その後が…。7、8、9着のオンパレードで、気持ち的にも萎えてしまった。練習でも、あとひと頑張りというところでやめてしまったりで…。
それと、3月に結婚式を挙げたのですが、その準備でバタバタしてしまった。普段の冬は前橋に移動して練習するのですが、この冬はレース間隔が短い時は弥彦でローラー練習のみだったりもしました。僕は天才ではなく努力型なので、練習量によって成績が左右されてしまう。なかなか結果を出せませんでした。

―結婚しての変化は?
妻を養わなきゃと、気持ちが入るようになりました。家のことはすべてやってくれるし、我がままも聞いてくれる。今は練習に取り組める環境が整っています。

―今回のクリエイトの表紙、テーマが「その時」なんですが、原田選手にとっての「その時」というと仕掛けのタイミングになりますが?
レース前からどこで動きたいとかは決めていません。意識するのは位置取りくらいで、仕掛けどころはレースの流れで。タイミングを逃さず、動けたらと思っています。

―期も替わって、巻き返しの時ですね。
昨年、S級でボコボコにやられたので、リベンジしたいですね。そのためにも、今期はS級へ復帰できるだけの成績を残したい。地元戦の結果から、手応えをつかめましたからね。

取材日 7月2日